本の覚書

本と語学のはなし

L’étranger


 『異邦人』の窪田訳。


■Mais le procureur s’est redressé encore, s’est drapé dans sa robe et a déclaré qu’il fallait avoir l’ingénuité de l’honorable défenseur pour ne pas sentir qu’il y avait entre deux ordres de faits une relation profonde, pathétique, essentielle.


□しかし検事はふたたび立って、その法服に威儀をつくろって、この二つの事実の間に、根本的な、感動的な、本質的な関係が存することを感じないためには、尊敬すべき弁護人のような純真さを持たなければならない、と申し立てた。


 この文章は、殺人犯ムルソーの裁判で、検事が、事件とは直接関係がない、ママンの埋葬の日のムルソーの様子ばかりを問題とするので、たまりかねた弁護人が異議を申し立てて、それに検事が答えたところ。したがって、「二つの事実」とは殺人およびママン埋葬当日の不道徳な行動のことである。
 翻訳は分かりにくいが、これは、こう言ってよければキケロ以来の弁論上のレトリックであり、かなり性根の悪い皮肉である。つまり、二つの事実に関係性を見出さないためには純真さが必要だというのは、多少ともものの分かる頭を持っていれば当然二つの事実の間に関係を見て取るはずだということを言っている。


■Comme si les chemins familiers tracés dans les ciels d’été pouvaient mener aussi bien aux prisons qu’aux sommeils innocents.


□あたかも、夏空のなかに引かれた親しい道が、無垢のまどろみへも通じ、また獄舎へも通じうる、とでもいうように。


 これは、なんかいいね。


■A imaginer le bruit des premières vagues sous la plante de mes pieds, l’entrée du corps dans l’eau et la délivrance que j’y trouvais, je sentais tous d’un coup combien les murs de ma prison étaient rapprochés.


□足もとの草に寄せてくる磯波のひびき、からだを水にひたす感触、水の中での開放感―――こうしたものを思い浮かべると、急に、この監獄の壁がどれほどせせこましいかを、感じた。


 上の二つよりもはるか前に出てくる文章。
 「足もとの草」は「足の裏」の間違いではないだろうか。「plante」を『ロワイヤル』で引くと、「植物」の意味の「plante」との混同を避けるためしばしば「plante du pieds, plante des pieds」という、という説明までついている。