本の覚書

本と語学のはなし

『神さまの話』


リルケ『神さまの話』(谷友幸訳,新潮文庫
 神さまの話と言っても、聖書を下敷きにしているわけでもないし、とびきりの聖人君子が登場するわけでもない。それでも至るところに神が現れる。神が登場しなくても、神は常にいるようだ。
 というのも、語り手の「僕」は、こんなふうに驚いてみせるのだ。


 「なんですって、神さま抜きの話ですって。でも、そんなことが、およそありうるのでしょうか」(69頁)


 神さまのいない話を先生にして、それが子供たちに伝わった時のこと。


 子供たちは、この話も聞きました。そうして、先生が機嫌を害(そこ)ねるのもかまわずに、この話のなかにも、神さまが、出てこられると、言い張ったのです。これには、僕も、いささかながら、唖然としました。(168頁)


 唖然としたり、慄然としたり、「僕」はあくまで空とぼけてみせる。でも、やっぱり「神さま抜き」の話なんかできっこないのだ。


 というのも、神と芸術家は、同じ一つの財産を共有し、したがってまた、同じ一つの貧困をも共有しているからなのですが。(146-7頁)


 上と下とで神と境を接しているというロシア(45頁)へ旅をしたリルケの、ロシアに満ちた一つの結晶であり、これに聞き入るには我々はエヴァルトの如く一人の「足萎え」でなくてはならないようだ。


常並のひとたちは、なまじ両足がきくばかりに、うっかり、あまたのもののそばを、素通りしたり、あるいは一目散に、いろいろなものを避(よ)けて、走り去ってしまいます。ところが、エヴァルトさん。あなたは、ですね。あなたは怱忙のまっただなかに陣どる、静止の一点となるように、神さまが、お定めくださったわけです。一切合財が、あなたを中心にして、動いていると感じませんか。常並のひとたちは、逃げてゆく日々を、しきりに追いかけています。やっと、そのうちの一日にでも、追いついたときには、もうすっかり息切れがしていて、せっかく追いついた一日と、一言、言葉を交わすこともできません。それにひきかえて、あなたのほうは、そうやって気軽に、窓辺に腰を下ろして、じっと待ち受けています。待つ身には、きまって、なにかが、訪れるものです。あなたには、まったく格別の運命が、恵まれているわけですよ。(71頁)


神さまの話 (新潮文庫)

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