本の覚書

本と語学のはなし

代休

 本の整理をする。
 私が本の整理をする時というのは、興味の方向を変更する時である。とかく文学と哲学の間で揺れがちであるが、今回は文学へと舵を取る。
 中心は原典でも読める(はずの)日本、フランス、ドイツ、イギリス、アメリカ文学(ギリシアとローマは原典講読は続けるが、本格的に取り組む予定はない)。なかんずくフランス文学(と、2、3年前にも言っていたような気がするが…)。これでかつて「本の覚書」と称していたのも、あながち無謀なタイトルではなかったことが証明できるかも知れない。困るのは、私は文学のレヴューなどできないこと。読んだ分だけ恥をかきそうな気がする。あまり好きではないけれど、文学理論を学び直す必要があるかも。
 読みかけの本がある。ちくま文庫の『森鴎外全集1』『宮沢賢治全集5』『芥川龍之介全集1』はいずれも短編集なので、いつ再開しても、いつ中断してもよい。トルストイの『アンナ・カレーニナ』(岩波文庫)は中巻の半ば過ぎで挫折している。さすがに最初から読み直すのは億劫なので、止めた所から再開。先ずはこれを終わらせよう。


 哲学は、カントやレヴィナスデリダらを気にしながらも、環境、生命、経済といったアクチュアルな問題を考えるために応用倫理学にも踏み込み、功利主義自由主義の可能性も探る。しかし、カント以外、原典まできっちり押さえようとは欲張らない。


 揺れることも決して悪くはないのだろう。文学が読めなくなることはよくあるが、歴史を学んだ後で急に面白くなったりする。私は役所勤めの9年間、熱心な文学の読み手であったことは1度もないが、その間に雑多な知識と経験をいろいろと仕入れることができた。また文学が面白くなりそうな予感がある。