本の覚書

本と語学のはなし

Les Essais 1 : 3.


 風邪を引いたのでずっと寝て過ごす。
 起きている間にしたことといえば、『エセー』を継続して読めるかどうか、本当に『全体性と無限』を切ってしまっていいのかという確認。


 『エセー』は現代フランス語の知識があれば、十分対応可能であると判断する。読めないことがあるとすれば、フランス語史の知識ではなくて、フランス語読解能力が不足している可能性の方が高い。
 今日読んだ第1巻第3章から、一部を抜粋。訳は岩波文庫の原二郎のもの。


Edouard premier, Roy d’Angleterre, ayant essayé*1 aux longues guerres d’entre luy et Robert, Roy d’Escosse, combien sa presence donnoit d’avantage à ses affaires, rapportant tousjours la victoire de ce qu’il entreprenoit en personne, mourant, obligea son fils par solennel serment à ce qu’estant trespassé, il fist bouillir son corps pour desprendre sa chair d’avec les os, laquelle il fit enterrer ; et quant aux os, qu’il les reservast pour les porter avec luy et en son armée, toutes les fois qu’il luy adviendroit d’avoir guerre contre les Escossois. Comme si la destinée avoit fatalement*2 attaché la victoire à ses membres.


イギリス王エドワード一世はスコットランド王ロバートとの長期にわたる戦争の間に、自ら先頭に立って戦ったときには常に勝利を得たことから、自分の存在が味方の戦闘にきわめて有利であることを経験していたので、死に臨んで、皇太子に向かい、自分が死んだら遺骸を煮て肉と骨をばらばらにほぐし、肉は埋葬し、骨はとっておいて、スコットランドと戦争をするたびに携えて行って将兵のそばにおくようにせよと命じておごそかに誓いを立てさせた。まるで運命が勝利を彼の五体に結びつけているかのようであった。


 私が取り違えていたのは、「à ce qu’estant trespassé」の部分。「亡骸に対して」とちょっと無理な読みをしていた。つまり「à」は誓いの向く方向を表し、「qu’」は関係代名詞なのだろうかと、首をかしげながら推測していたのだが、もちろんこれは誤り。
 正しくは、「à」は「obligea」の指示する方向を表し、「qu’」は接続詞として、次の「il fist bouillir...」以下の文章をも含めて、その内容を詳述するのだ。「estant trespassé」は時とか条件を表す分詞の用法で、原は「自分が死んだら」と訳している。現代語ならば、分詞構文の主語と、次の「il」が別人であることは許されないかもしれない。
 しかし、多少現代とは違う語形論と統辞論に従っている文章とは言え、これはあくまで読解力の問題である。現に、訳を見れば直ぐに自分の誤りに気がつくのである。読み続けるのに問題はないはずだ。


 一方、『全体性と無限』にもなお未練を感じる。
 一番の要因は、岩波文庫熊野純彦の訳と丁寧な注釈だろう。原文と熊野訳を併せて読むとき、辛うじて私はレヴィナスを理解しているという感触を得ることができる。
 本当は今のように時間がない中で決定するべきことではないのだろう。

*1:Expérimenté.

*2:D’une manière que le destin rend inévitable.