本の覚書

本と語学のはなし

Les Essais


 哲学の原典講読は私にとっては不毛な試みではないかという疑いに、近頃とみに襲われる。どのみち入門書で提示される以上の読みができるわけでないのなら、入門書を読んでおけば十分ではないか。この日記に哲学の欠片もないように、私には一片の哲学的センスもないのでないか。もっと文学と語学寄りの所でこそ、私の能力は生きてくるのではないか…、というようなことを考えている。


 そこで突如モンテーニュが読みたくなる。モンテーニュを読んでもフランス語はうまくならない、と今と同じことを言って投げ出したのは何年前だろうか。思えば私のブログ上の翻訳研究は、モンテーニュ読解をもって嚆矢とするのである。


 第1巻第3章「われわれの感情はわれわれを超えてゆくこと」より。


Aristote, qui remue toutes choses, s’enquiert sur le mot de Solon que nul avant sa mort ne peut estre dict heureux, si celuy-là mesme qui a vescu et qui est mort selon ordre, peut estre dict heureux, si sa renommée va mal, si sa postérité est miserable. Pendant que nous nous remuons, nous nous portons par preoccupation où il nous plaist : mais estant hors de l’estre, nous n’avons aucune communication avec ce qui est. Et seroit meilleur de dire à Solon, que jamais homme n’est donq heureux, puis qu’il ne l’est qu’apres qu’il n’est plus.


岩波文庫の原訳〉
あらゆる問題を論じたアリストテレスは、ソロンが「何人も死なないうちは幸福とは言えない」と言ったことについて、立派に生き、かつ死んだ人でも、もし死後の評判が悪く、子孫が不幸だったら幸福といえるかどうかと問うている。われわれは生きている間は、先廻りをしてどこへでも好きなところに行ける。だが死んでしまえば現にあるものとは何のつながりもなくなる。したがってソロンは「人間はけっして幸福にはなれない。なぜなら、人間は死んだ後でなければ幸福ではないのだから」と言ったほうがよかったであろう。


 訳を参照すれば*1、意外と現代フランス語の知識だけでも読めるのではないだろうか。分かりにくければ、「s」を除いてアクセント記号をつけてみるだけで、もっと我々の知っているフランス語に近くなるだろう。


 このまま読み続けるかどうか、となると躊躇する。16世紀のフランス語が読めるというのは刺激的だが、果たして常に片手間に読めるものだろうか。
 もっと英語と金融に力を入れなさい、と言われそうである。

*1:最後の一文は正確でないかもしれない。スクリーチの英訳でも「ソロンに言ってやったほうがよい」となっている。

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