本の覚書

本と語学のはなし

リクライニング・チェア

 病院の帰り、父が退院した後のことを考えて、ベッドや椅子を見てくる。この週末、父は外泊を希望しなかった。寝たり座ったりという姿勢から起き上がるのが辛いようだ。頻繁にトイレに行くから、どんどん体力が奪われてゆく。
 私は父のベッドよりも、自分のためのリクライニング・チェアを熱心に品定めをした。ゆったり読書がしたい。というのは口実で、本音は、「これで優雅な昼寝ができる!」。
 私はいつでも眠い。いつでも眠っていたい。中学生の時には、よい眠りを眠るために人は活動するのだ、というような作文を書いたことがある(まるで、美味いビールを飲むために、というオヤジの論理みたいだ)。だが、私は夢を見たいのではない。大学生の頃、弓で胸を射抜かれるか、日本刀で肩口から切りつけられるところを想像してみないことには寝付けなかった時期があるところから見ても、眠りは死を意味していたのだと思われる。私はうまく起きることができない。うまく生きることができないからである。
 おそらく、私は人一倍タナトスへの願望が強いのである。