本の覚書

本と語学のはなし

『正法眼蔵(二)』

道元正法眼蔵(二)』(水野弥穂子校注,岩波文庫
 75巻本の「古鏡」から「諸法実相」まで。
 最近参照しているのは、春日佑芳の『正法眼蔵を読む』(ペリカン社)のみである。ほとんど修証一等からのみ読もうという、単純といえば単純に徹した解釈。
 一般に、臨済宗では悟りをとることが目標とされる。悟り了れば未だ悟らざるに同じであって、つまり柳は緑、花は紅以外にありようもなく、悟りは決して神秘体験に堕して終わるべきものではないのだが、先ずはある種の心理的体験がどうしても必要だとするのである。
 一方、曹洞宗は只管打坐と言う。ただ坐る。なぜなら、修行こそが悟り(証)なのだから。春日によれば、修のところに見る世界が証であり(断じて特殊な心理的状態や体験のことではない)、証はまた修へと脱落転換されねばならぬものだから。


 道元在宋中、師の如浄は普説に言った(「諸法実相」)。


 天童今夜有牛児  天童今夜牛児(にゅうじ)あり
 黄面瞿曇拈実相  黄面の瞿曇(くどん)*1実相を拈ず
 要買那堪無定価  買わんと要するに、那(なん)ぞ無定価(むちんか)なるに堪えん*2
 一声杜宇孤雲上  一声の杜宇、孤雲の上


 春日の解釈。


 天童山において私たちは、今夜も、牛児となって修行を続けている、
 このとき、金色に輝く釈迦仏は、私たちの眼前に実相の世界を見せるのだ。
 だが、これを買い入れて自分のものにしようとしても、値段のつけようがないので、買うすべがない、
 思いあぐねていると、ほととぎすの鋭い叫び声が、孤雲の彼方からきこえてくる


 如浄は続けて入室話に言う。


 杜鵑啼、山竹裂  杜鵑(とけん)啼(な)き、山竹裂く


 春日の解釈。


 杜鵑(ほととぎす)が鋭く叫び、証の現成を告げている。だが、この杜鵑の一声は、それとまさに同時に山竹(証の世界)を引き裂き、それを修するわが身に脱落させる!


正法眼蔵〈2〉 (岩波文庫)

正法眼蔵〈2〉 (岩波文庫)

*1:釈尊のこと。

*2:水野は「買わんと要するに那(なん)ぞ定価(ちんか)無かるべき」と読む。

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