本の覚書

本と語学のはなし

『ニッポニアニッポン』

阿部和重ニッポニアニッポン』(新潮文庫
 トキの密殺を謀るゆがんだ引きこもり青年の話。『金閣寺』みたいと思っていたら、阿部自身、三島由紀夫の『金閣寺』と大江健三郎の『セヴンティーン』(私は未読)という純文学同士の交配から不純文学の誕生を期した、と語っているらしい。
 内容はどうでもいい。現在私は物語を重視して小説を読んではいないので、トキ密殺だなんて話には退屈してしまう。
 文章は好みに近い。硬質で、無機的で、引用好きで…。これは、私が書こうとする路線の1つではないか。もう2、3読んでみたくなる。しかし、そういう文体が盛るべき内容については、優秀なサンプルが他にいくらでもあるわけであり、阿部に拘る必要は全くない。
 だが、これはパラノイアの文体なのだということは、しっかり記憶しておくべきだろう。鼻に付く斎藤環の解説の中で1つだけ得心がいったのは、「いまや阿部が信ずるのは形式であり、論理だけである。(中略)臨床的にもパラノイアが治りにくいのは、彼がわれわれ以上に、厳密に論理的な考え方をするためだ」という、精神科医らしい指摘である。